金春屋敷跡

金春屋敷跡

いつもの通りとして歩いていた金春通りは…歴史ロマンを感じる地であったこと銀座花街のはじまりを知る事ができます。

幕府直属の能役者金春(こんぱる)家の屋敷を拝領されていた由来から金春通りの地名も残る江戸情緒の最後の砦ともいわれています。

江戸時代には金春・観世・宝生・金剛の四家は幕府直属の能役者として銀座・京橋に屋敷を拝領していました。幕府の式楽として慶事(ご婚礼、若君誕生、将軍宣下、元服)では能を披露しお祝いしたといわれ豊臣秀吉より保護されてきました。やはりお祝い事に能楽は大切な欠かせない式楽であった事がよくわかります。

金春家はもっとも古く室町時代から豊臣秀吉に贔屓にされ徳川家にも引き継がれ保護されてきました。

金春家屋敷は現在の銀座8丁目6・7・8番地全体を占め広大なお屋敷跡が示されています。

江戸城 能舞台

町入御能(まちいりおのう)

慶事や正月のうたい初めの式にはご三家、諸大名ほか江戸市中の町人も城内での能楽の拝見を許されるようになり町入御能では5000人もの町人で賑やかに

おめでたい席のため入場の際には雨にそなえて傘が1本、退場の際には酒と菓子が配られおもてなしも流石に気がきいています。将軍や役者を囃し立てる声も無礼講の一日でもあったといわれる。現在でも無礼講は?ありますね。しかしこの日は特別であったのではないかと思います。

一般庶民には能楽に接する機会はなかったのですが江戸時代、うたい本が発行され関心を集めていきました。現在でも能楽は伝統文化の基本となり金春家はもっとも歴史古い家柄です。

金春祭り毎年8/7に路上奉納

観世流 GINZA SIX能舞台

銀座は能文化の発信でもあります。

跡地…金春屋敷が麹町に移転後

金春芸者 新橋芸者が集まり金春屋敷で下働きとしていた女性は舞や唄に通じ人をもてなす才もあり、お茶屋を初め人気を博し…花街として発展、今に繋がっています。金春家から金春芸者「新橋芸者」会館、見番通り数々の名を残す地となっています。

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