銀座のはじまり

江戸時代

都市整備は江戸時代から今に繋がる「銀座」の基盤が作られて行くことに…

銀座は江戸前島〔地図〕と呼ばれた東京湾に突き出た低湿地帯の半島でした。徳川家康の江戸入府により神田山を削り日比谷入江を埋め立てられ江戸城を中心に町の基盤をつくり江戸城外堀 水路を作り橋が架けられて

銀座に行くには橋を渡らなければなりませんでした。新橋、三原橋、数寄屋橋、京橋など現在では嬌名が地名としてたくさん残っていますが、川、水路あるは江戸時代の大切な交通網であった事、銀座のまちづくりは

碁盤の目に整備され町人町として発展します。江戸城に登城する参勤交代の大名行列は旧東海道は現在の銀座通り400年前と道幅は変わらねメインストリートその華やか通りは歩行者天国となり、またパレードや御練りのメインストリートとしても現在に繋がっています。

江戸尾張町 銀座5〜6丁目 松坂屋図

銀貨鋳造、取締り管理の「銀座役所」慶長6年1601年江戸の新両替町として〔銀座二丁目〕銀貨の鋳造を行うようになり「銀座」と呼ばれるようになりました。正式には明治2年から「銀座」の町名が採用

銀貨鋳造や生活用品を作る職人町でしたか…日本橋の華やかな商業の地に対し銀座は地味な職人が住まわう工場などがあった町は明治期の鉄道の開通で発展していきます。

銀座に対し「金座」は日本橋〔日本銀座の地〕

銀座発祥の碑

銀座二丁目 ティファニーの前

江戸文化が香る伝統芸能

御能

伝統芸能として最も古く能楽は豊臣秀吉が贔屓した事で徳川家康は幕府の式楽とした四座「金春・金剛・宝生・観世」流を保護、直接支配を続ける。慶事(将軍宣下・婚礼・若君誕生)お祝い事に能を披露したといわれる。

・金春流は銀座8丁目に金春屋敷を拝領 金春祭りではゆかりの地で路上奉納能を毎年8/7開催している。

・観世流は銀座二丁目に500坪ほどの屋敷を拝領していたGINZA SIX 銀座に還ってきました。

・宝生龍は神田猿楽町 徳川幕府 綱吉が特に贔屓にした。現在は水道橋能楽堂を建立

・金剛流は唯一関西を拠点としている。

京都、奈良と江戸能楽は中心となる。

・江戸歌舞伎

木挽町「東銀座」 森田座
銀座と歌舞伎

山村座、河原崎座、森田座という劇場(芝居小屋)が三軒(三座)

「中村座・市村座・森田座」が幕府公認の芝居小屋として江戸三座

その後木挽町には森田座のみとなりますが、御能をはじめ歌舞伎も銀座と深い地であったことが今の歌舞伎座に繋がり銀座の文化は江戸時代より時代を乗り越えて継承されてきました。

江戸文化の伝統芸能として

江戸浄瑠璃・長唄・日本橋舞踊・講談・落語

江戸時代の土木工事で江戸の街、銀座はつくられ、江戸文化の発祥に、今日にそして銀座の未来へ…。

明治 文明開化

大正ロマン

昭和 高度成長期

「銀座のはなし」でご紹介させていただきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です